1月9日 正信偈の会 午前十時半~」への1件のフィードバック

  1. 田原 秀樹

    今年の1月から始まった「正信偈の会」に参加させていただきました。この会は「正信偈」を理解し、阿弥陀如来の本願など浄土真宗の教えを理解するうえで、大変有意義なものでした。正信偈は朝夕のお勤めや報恩講、葬儀などで読経する最も身近な経典です。
    第一回は、家本久和師が講師をされ、正信偈は親鸞聖人の大著「教行信証」の行巻の末尾に記された60行120句の漢詩であること、1473年に本願寺八世蓮如上人が「正信偈」を親鸞聖人晩年の著書「和讃」ともに開板(印刷)して門徒に広め、日常の拝読用に制定されたこと、正信偈の詠み方にも9品あって、その中の「草四句目下」は私たちが同朋唱和で唱えやすいようにゆっくり目であること、経文の〇印の一行は「調声人」のみが詠むこと、●印は「鈴」を打つところ、声の長さや音の上がり下がりを表す「節譜」など、正信偈の基本とはいえ、初めて知ることばかりで、私たちが知っておくべきことを分かりやすくお話になりました。
    正信偈の前文「偈前の文」で、
     しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りて曰わく、
    とあるのは、釈尊が説かれた真のお言葉である「大無量寿経」の教えを拠り所とする、七高僧の「大無量寿経」の教えを正しく受け止め、その解釈を手掛りとする、釈尊と阿弥陀仏の恩徳がまことに深く、信じ知らせていただいた喜びから、この正信偈を作られたとの意であるのことでした。
    冒頭の
    帰命無量寿如来   (無量寿如来に帰命し)
    南無不可思議光   (不可思議光に南無したてまつる)  
    の二句は、無量寿如来と不可思議光如来に親鸞聖人が帰命することを表明していることが理解できます。
    正信偈は「教行信証」のエッセンスと言われますが、経文にはそれぞれに深い意味があります。「正信偈の会」を通して、この経典の詠み方や内容を理解して、親鸞聖人の教えや浄土真宗の教義に一歩でも近づきたいと思います。
    本願寺横浜別院が「正信偈の会」の機会を設けてくださったことに、感謝申し上げます。ありがとうございました。

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