11月28日 御命日の集い 午後一時半~」への1件のフィードバック

  1. 田原 秀樹

    11月28日は親鸞聖人の御命日にあたり、坂田智亮住職は1207年の「承元の法難」により、法然上人が讃岐へ、親鸞上人は越後へ流罪された歴史的背景などをお話されました。奈良興福寺など旧仏教勢力は朝廷と深く結びついた国家仏教であり、法然上人や親鸞上人が回心する本願念仏と対峙するものであったというのです。そして朝廷や旧仏教勢力からどれだけ弾圧されても、両上人や民衆の心の打ち立てられた専修念仏の灯は打ち消すことができなかったとの趣旨のお話でした。
    親鸞聖人は『教行信証』の「化身土巻3」の後序で、当時の仏教界を批判し、承元の法難の経緯に触れ、流罪の地で非僧非俗の道を選ばれた理由、親鸞自身の回心などを述べておられます。そして仏教の教えを素直を信じられず、それ故に苦しむ煩悩具足の凡夫だからこそ全てお見通しの阿弥陀如来は救いの手を差し伸べられるとも述べられいます。三悪(貪欲・瞋恚・愚痴)どころか様々な煩悩から抜けきれない私たち衆生にとって、何と有難い念仏の教えかと今更ながらに感じます。正しく易行の仏教ですから、逆説的な危険な要素もはらんでいるというご指摘にも納得しました。
    法統と血統を承継して御影堂の「留守職」の地位につき、本願寺の基礎と造った本願寺第3世の覚如上人の言葉にも触れられ、男女、老少、善悪、地位など一切問わず、念仏一つで衆生は救われる「本願他力」の教えをお話されました。このことは覚如上人の『執持鈔』の中の言葉「ひとすじに如来にまかせたつるべし」に凝縮されていると思います。
    また覚如上人は毎年、11月21日から28日まで行われる「報恩講」の「報恩講式」を作成し、親鸞聖人の事跡の顕彰に尽力されたこともお話されました。
    今回の坂田智亮住職の法話は実に濃密な内容で、親鸞聖人の人や思想、浄土真宗の教えの理解が深まる内容でした。親鸞や浄土真宗の書物を紐解くきっかけを与えてくださったことに感謝します。阿弥陀如来は意識すると、すうっと近づいてこられるような感じがします。ありがとうございました。

    返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です